カネカメ中村醸造元の歴史
- 平成19年
- 「大間マグロ醤油」
大間漁業協同組合公認商品第一号として発売する。
- 平成17年
- 「カネカメ濃口」に神田川俊郎氏の合格をもらい、商品化、発売する。
大阪の「神田川本店」を始め神田川系列全店で、それまで店で使われていた濃口醤油がすべて「カネカメ濃口」に切り替えられる。
「うちも醤油を変えるのは30年ぶりやなあ」と神田川俊郎氏。
「今まで醤油は脇役とおもっとったけど、この醤油は主役やでえ」
- 平成16年
- 「なかむら」を開発、料理人神田川俊郎氏のお墨付きをもらう。
「えらいうまいしょうゆやなあ、のめるでえ、これ」
「魔法の醤油や」
「なかむら」の味に驚いた神田川氏に、「カネカメなかむら」の濃口醤油を使ってみたい、と言われる。
より良いものを、常に目指したい。
無農薬有機大豆の自社農園を手がけ始める。
- 平成15年
- 「昆布ぽんず」を発売する。
- 平成14年
- 本格和風料理つゆ「昆布八方」を発売する。五代目欽哉、会長職を退く。
- 平成13年
- 「減塩『昆布しょうゆ』(塩分9%)」を発売する。
- 平成7年
- 五代目中村欽哉が会長に、六代目中村充滋が代表取締役社長に就任する。
- 平成6年
- 株式会社 中村醸造元として法人化する。
- 平成2年
- 「昆布しょうゆ」が北海道への拡販に伴い大ヒットとなり、醤油業界の常識を変える大ヒット商品となる。
現在でもカネカメなかむら「昆布しょうゆ」は他の類似品の追随を許さず、各調査会社の醤油ジャンルでの売り上げデータ(全国)上、大手メーカーの従来の醤油(濃口、薄口など)に次ぐ順位を守っている。
押しも押されぬ「昆布しょうゆ」の元祖。
- 平成元年
- 加工玄米「ふしぎ玄米」を発売する。
- 昭和62年
- 「昆布しょうゆ」を世界で始めて商品化、津軽で発売。
- 昭和60年
- 「いかの昆布しょうゆ漬け」を発売。
- 昭和56年
- しょうゆ風調味料「昆布しょうゆ」の開発を始める。
- 昭和53年
- 弘前工場が国の「重要的建物群保存地域」の指定を受け、以後の増改築が困難になったため、弘前市に隣接する藤崎町に工場を移転する。
移転時に、代々続く醸造蔵を取り壊したため、残念ながら今は蔵で仕込んではいない。
でもそのおかげで、近代的な設備の中で醸造、開発、商品管理を行い、歴史だけにとらわれない技術や開発力が培えたといえるかもしれない。
- 昭和45年
- 惣菜部門を立ち上げる。
「しょうゆコンブ」が発売され、津軽地方の小売店で人気商品となる。
発売以来35年、津軽の地で愛され続けた「しょうゆコンブ」は、今また全国区の新たな人気。
五代目中村欽哉は、従来の味噌醤油製造に加え新商品の開発などを意欲的に進める。
四代目中村了三は若くして戦死する。
三代目中村泰知は、大正から昭和にかけて工場の近代的機械化をはかり、青森県で 最初の大型ボイラーを導入する。
また、昭和10年には醤油製造販売も始める。 第二次世界大戦の統制経済により、函館支店、札幌支店などを閉鎖するが、三代目 泰知の妻ひゃくは、商圏を縮小維持する。
津軽藩ねぷた村も「カネカメ」の歴史。
三次郎は、明治中期から大正三年にかけて弘前市亀の甲町に庭園「揚亀園」をつくり、 現在も弘前市の人気観光スポット「津軽藩ねぷた村」の一角に残っている。
実は、津軽味噌の元祖。
二代目三次郎は、明治初め、味噌の製造販売を始めた。 津軽藩の米倉を買い取り、弘前市亀の甲町に工場を開設し、本格的な味噌製造を行う。 主に北海道全域に商圏をもち、函館支店、小樽支店、札幌支店などを開設する。 当時、北海道では工業としての味噌製造は確立しておらず、本州津軽から来た 「カネカメ味噌」を津軽味噌と呼んだ。 現在では味噌の醸造は行っていないが「カネカメ味噌」は、津軽味噌の元祖である。
創業百四十年。
初代中村亀吉が江戸時代末期、 青森県弘前市において商いの基礎をつくる。
だから「カネカメなかむら」。
平成17年夏
消費者の方々の声をもっと直に受けたい、「カネカメなかむら」をもっと伝えていきたい、 とホームページを開設。
「カネカメなかむら」は「食べること」を誠実に考えていきたい。
これからも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
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